異文化コミュニケーション学部10周年記念講演会 温 又柔氏『「国語」から旅立って — 自分の言葉で生きること』開催レポート
奥山美佳さん(異文化コミュニケーション学部異文化コミュニケーション学科 3年次)
2019/02/07
RIKKYO GLOBAL
OVERVIEW
2018年12月1日(土)に、異文化コミュニケーション学部主催で、作家 温又柔(おん ゆうじゅう)氏の講演会が開催されました。講演の様子を、同学部同学科3年次奥山美佳さんが報告します。
2018年12月1日、異文化コミュニケーション学部創立10周年の公開講演会で講演なさった温又柔さんは、台湾生まれの日本の小説家です。3歳の頃に家族と東京に引っ越し、台湾語混じりの中国語を話す両親と、中国語?台湾語?日本語の3つの異なる言語が溢れる環境で育ちます。2009年に、ご自身の経験をもとに書かれた家族の物語『好去好来歌』ですばる文学賞佳作を受賞、昨年は芥川賞の候補にもなるなど活躍されていらっしゃる作家です。
温又柔さんの講演を通して考えるのは、複数言語、複数の文化を行き来する中で見つける、「国語」と「自分の言葉」の多様なあり方です。日本における文化と言語の多様性について共に考え、異文化コミュニケーション学部が掲げる理念の意義を再度気づかせてくれる場となりました。
温又柔さんの講演を通して考えるのは、複数言語、複数の文化を行き来する中で見つける、「国語」と「自分の言葉」の多様なあり方です。日本における文化と言語の多様性について共に考え、異文化コミュニケーション学部が掲げる理念の意義を再度気づかせてくれる場となりました。
温又柔さん
私は、温又柔さんの作品『台湾生まれ日本育ち』を、授業を通して読む機会がありました。この作品を読んだ時、私自身が中国語を学習していたということもあって、他の人よりも温さんの感じ方にとても共感することができ、中国語を学び始めたばかりの頃の好奇心と心が踊った気持ちを思い出しました。
温さんは幼少期に来日し、家の中でしか通じない言葉—中国語?台湾語—と家の外で通じる言葉—日本語—の狭間で、ご自身の名前の呼び方や呼ばれ方の違いを経験し、学校生活を重ねるごとに、幼いながらも日本人らしさが自分にもあればと願い、日本語の体系に取り込まれ、そして馴染んでいく感覚を経験しました。
日本語に対しもどかしい気持ちを抱き、揺れ、惑っていた子供から大人に、また日本語の作家になった後も、日本語について考える機会が度々あったとのことです。その機会の一つが、日本語で執筆したにもかかわらず、ご自身の名前が日本人らしくはないという理由で、ご著書が書店に並ぶとき、日本文学の棚ではなく、海外文学の棚に置かれていたということでした。このことは、日本文学の棚に入ると予想していた温さんの希望とは違いましたが、その一方で尊敬する海外文学の作家と同じ棚に並ぶことができたという喜びが同時におこり、一喜一憂した、と温さんは語られました。
台湾生まれ日本育ちで、複数の言語と複数の文化を行き来するという経験を持つことができた温さんだからこそ、見つけることができた一つの「国語」に対する答えがあります。それは、日本の植民地下にあった台湾で日本語を学校で「国語」として学んだ祖母、中国語を「国語」として習得し、日本に移住して外国語として日本語を学んだ母、日本で「国語」として日本語を学んだ娘。それぞれの「国語」、そしてそれぞれの「自分の言葉」は、場所や時代によって異なっているものの、これらの多様な言葉は、一つに繋がり、どれも正しいということです。
温さんは幼少期に来日し、家の中でしか通じない言葉—中国語?台湾語—と家の外で通じる言葉—日本語—の狭間で、ご自身の名前の呼び方や呼ばれ方の違いを経験し、学校生活を重ねるごとに、幼いながらも日本人らしさが自分にもあればと願い、日本語の体系に取り込まれ、そして馴染んでいく感覚を経験しました。
日本語に対しもどかしい気持ちを抱き、揺れ、惑っていた子供から大人に、また日本語の作家になった後も、日本語について考える機会が度々あったとのことです。その機会の一つが、日本語で執筆したにもかかわらず、ご自身の名前が日本人らしくはないという理由で、ご著書が書店に並ぶとき、日本文学の棚ではなく、海外文学の棚に置かれていたということでした。このことは、日本文学の棚に入ると予想していた温さんの希望とは違いましたが、その一方で尊敬する海外文学の作家と同じ棚に並ぶことができたという喜びが同時におこり、一喜一憂した、と温さんは語られました。
台湾生まれ日本育ちで、複数の言語と複数の文化を行き来するという経験を持つことができた温さんだからこそ、見つけることができた一つの「国語」に対する答えがあります。それは、日本の植民地下にあった台湾で日本語を学校で「国語」として学んだ祖母、中国語を「国語」として習得し、日本に移住して外国語として日本語を学んだ母、日本で「国語」として日本語を学んだ娘。それぞれの「国語」、そしてそれぞれの「自分の言葉」は、場所や時代によって異なっているものの、これらの多様な言葉は、一つに繋がり、どれも正しいということです。
私自身が所属する異文化コミュニケーション学部の理念である、「複言語?複文化主義、複眼的な思考」を大切にすることの意義を再度気づかせてくれる機会になりました。約6000の言語が世界に存在する中で、私は日本語だけではなく、他の言語も学習しながら、異なる価値観と視野に自ら触れ、私たち一人一人が持つ「国語」を豊かにすることに意味を感じます。
「音を音のまま音として受け入れ、聞き分ける」という温さんの言葉、そして、違いを拒絶したり強要するのではなく、どちらも存在することが許され、存在してもいいという捉え方と、その中で自分の言葉で紡いで生きている温さんの姿勢が印象的でした。そして、様々な文化圏で生きている人々が、違う文化圏の人々に出会い、そして互いを尊重しあうことから、自分と他者との違いを知り、受け入れることで、その過程の結果として新しい共存の形を見つけることができるのだと考えます。私たちが思考の可能性を広げることは、無限の可能性を広げることであると思っています。
最後に、お忙しい中お越し頂き、大変興味深いお話をしてくださった温又柔さんに、心から感謝致します。
「音を音のまま音として受け入れ、聞き分ける」という温さんの言葉、そして、違いを拒絶したり強要するのではなく、どちらも存在することが許され、存在してもいいという捉え方と、その中で自分の言葉で紡いで生きている温さんの姿勢が印象的でした。そして、様々な文化圏で生きている人々が、違う文化圏の人々に出会い、そして互いを尊重しあうことから、自分と他者との違いを知り、受け入れることで、その過程の結果として新しい共存の形を見つけることができるのだと考えます。私たちが思考の可能性を広げることは、無限の可能性を広げることであると思っています。
最後に、お忙しい中お越し頂き、大変興味深いお話をしてくださった温又柔さんに、心から感謝致します。
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